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- 1950年(昭和25)
- 戦後発足した写真家の親睦団体「写真家集団」と「青年写真家協会」を発展的に糾合して、新たにプロ写真家の職能団体「日本写真家協会」を67名で創立(5月12日)した。初代会長に木村伊兵衛を選出する。
- 1951年(昭和26)
- 第1回日本写真家協会展を日本橋・三越百貨店で催す。
- 第2回協会展「原爆より講和まで」第1部ノーモア・ヒロシマ、第2部世相点描、第3部その頃と今-われわれのアルバムより-と題して、日本橋・三越百貨店で催す。以後、第8回展、1958年(昭和33)まで毎年催す。
- 1955年(昭和30)
- 写真著作権に関しての研究を行うため、日本著作権協議会の懇談会に参加する。
- 文芸美術国民健康保険組合に団体加盟する。
- 1956年(昭和31)
- 「日本写真家協会会報」を創刊する。
- 1957年(昭和32)
- 「写真の日」記念行事として大撮影会を箱根で催す。一般参加者3,000名。
- 会長が渡辺義雄に替わり、木村伊兵衛が顧問に就任する。
- 1959年(昭和34)
- 会員作品による「喜びも悲しみも・われらみな日本の家族」が、雑誌『日本』(講談社)新年号を飾る。
- 1960年(昭和35)
- 会員作品による「社会の谷間」展を仙台・丸光百貨店で催す。
- 安保条約改定に反対するデモ行進に協会員多数が参加。
- 第9回日本写真家協会展「ここにあなたは住んでいる」(共同制作、編集:名取洋之助)を、池袋・西武百貨店で催す。入場者48,000人。
- 1961年(昭和36)
- 協会展「ここにあなたは住んでいる」を写真集『東京』として朝日新聞社より出版する。
- 日本著作者団体協議会に加入する。
- 年末助け合い写真即売展を、富士フォトサロンで催し、売上金を小児マヒ患者の施設に寄付する。以後、1965年(昭和40)まで毎年催す。
- 1962年(昭和37)
- 写真著作権について、文部省に意見書を提出する。
- 第10回日本写真家協会展「女―その生きる喜び」(共同制作)を池袋・西武百貨店で催す。
- 銀座に事務所を移す。
- 1963年(昭和38)
- 著作権制度審議会第2小委員会に参考人として出席し、意見陳述する。
- 1965年(昭和40)
- 名誉会員に木村伊兵衛、松島進を推挙する。
- 写真の著作権改正運動を推進するために全日本写真連盟、日本広告写真家協会、日本肖像写真家協会、日本写真家協会、日本写真文化協会、東京写真事業協同組合の6団体によって、全日本写真著作者同盟(委員長:渡辺義雄)を結成する。
- 1966年(昭和41)
- 写真著作権をまもる全国集会(第1回)を開く。
- 1967年(昭和42)
- 日本写真家協会賞が制定され、第1回受賞者に富士フォトサロンを選ぶ。
- 1968年(昭和43)
- 「写真100年―日本人による写真表現の歴史展」を、池袋・西武百貨店で催す。以後、名古屋、大阪、岡山、新潟でも催す。
- ジョージ・イーストマン・ハウス・コレクション展「世界の偉大な写真家たち」を渋谷・西武百貨店で催す。
- 1969年(昭和44)
- 「写真100年―日本人による写真表現の歴史展」が第12回日本写真批評家協会賞特別賞、’69年度日本写真協会賞年度賞を受賞する。
- 事務所を新宿区四谷3丁目に移す。
- 1970年(昭和45)
- 著作権法の改正について、渡辺義雄、丹野章が衆・参議院文教小委員会で参考人として意見陳述する。
- 著作権法が改正され、写真の保護期間が公表後50年に延長される(’71年より施行)
- 創立20周年を記念して『日本写真家協会沿革史』を発行する。
- 1971年(昭和46)
- 『日本写真史1840~1945』を平凡社から出版。
- 著作権侵害・合成写真裁判(白川義員)の支援決議。
- 日本写真著作権協会(会長:渡辺義雄)が発足する。
- 社団法人化について検討を始める。
- 1972年(昭和47)
- 「写真寄稿覚書」「写真原稿賠償責任保険(ネガ保険)」が発足する。
- 1975年(昭和50)
- 「米大統領命令9066号」展を渋谷・西武百貨店で催す。
- 「日本現代写真史展―終戦から昭和45年まで」を池袋・西武美術館および都内の6つの写真ギャラリーで催す。以後、松江、新潟、呉でも催す。
- 1976年(昭和51)
- 東京都美術館で「JPS展」を始める。以後、毎年会員作品のほかに一般公募作品を展示する。
- 「日本現代写真史展」が、’76年度日本写真協会賞年度賞を受賞する。
- 国際写真博物館、ジョージ・イーストマン・ハウスでの第3回写真歴史シンポジウムに松本徳彦を派遣する。
- 1977年(昭和52)
- 『日本現代写真史1945~1970』を平凡社から出版する。
- 1978年(昭和53)
- 日本写真美術館設立促進委員会(代表:渡辺義雄)が発足し、写真美術館設立の運動を展開する。
- 1980年(昭和55)
- 会長に三木淳が就任。渡辺義雄を名誉会長に推挙する。
- 1983年(昭和58)
- 初の海外写真展「Japanese Photography 1945~1980」を、国際交流基金の援助でバンコク、ジャカルタで催す。
- 1984年(昭和59)
- 「日本現代写真史展」を北京で催す。
- 1985年(昭和60)
- 創立35周年記念・国際交流基金制作の「日本’71~’84人と社会」展を、池袋・西武百貨店で催す。以後、海外を巡回し、好評を博す。
- 1988年(昭和63)
- 写真著作権の保護年限の法改正を求める街頭署名運動を行う。
- 法人化の審議を巡って理事会が紛糾し全役員が辞職する。
- 臨時総会が開かれ、会長に藤本四八を選出する。
- 1991年(平成3)
- 社団法人化に向けて文化庁と折衝を再開する。
- 1992年(平成4)
- 公益社団法人と事業協同組合の併設を決議する。
- 1993年(平成5)
- 「アジア写真著作権会議」(香港)に丹野章、BAKU斉藤を派遣する。
- 社団法人化について、日本写真作家協会(JPA)と懇談を始める。’97年まで続く。
- 1994年(平成6)
- 『写真家のための著作権ハンドブック』を発行する。
- 事務所を千代田区一番町25に移す。
- 1995年(平成7)
- 阪神淡路大震災で会員多数が罹災、救援義援金活動を展開する。
- 社団、組合の併設決議を受けて「解散、財産処分に関する同意、及び組合設立、出資引き受けの同意」をとり賛成1,366名で、会則の4分の3以上の同意が得られる。
- 企画展「それぞれの写真人生―大正生まれの写真家たち」を新宿・コニカプラザで催す。
- 法人化に向けて会則を改正する。理事20名、監事2~3名、任期2年、再任を妨げないとし、会長、副会長2名、専務理事、常務理事を理事会で互選することになった。会長に田沼武能が互選される。藤本四八を名誉会員・相談役に推挙する。
- 戦後50年―日本現代写真史展「記録・創造する眼」展(朝日新聞社共催)を、日本橋・三越百貨店と都内の写真ギャラリー12会場で催す。大阪ナビオ美術館と市内の8会場でも催す。
- 1996年(平成8)
- 著作権法の一部が改正され、写真の保護期間が死後50年に延長される(’97年3月25日施行)。1956年以前に創作された写真著作権の復活(遡及)に向けて運動を展開する。
- 「日本現代写真史展―記録・創造する眼」が日本写真協会賞特別賞を受賞する。
- 「大正生まれの写真家たち」展の作品が『75人の写真家』として日本カメラ社から出版される。
- フィリピン大使館の要請によりフィリピン建国100年を取材するため、会員合計15名を派遣する。
- 1997年(平成9)
- 著作権法改正祝賀会(主催:全日本写真著作者同盟)が催され、衆参国会議員、文化庁、著作権関係者多数の出席で賑わう。
- 文化庁に法人化の資料を提出する。
- 1998年(平成10)
- フォトワールド・マニラ’98に芳賀日向を派遣する。
- 情報サービス委員会を設けJPSホームページの運用を開始する。
- 著作権権利情報集中機構(J-CIS)の電子透かしセキュリティーと写真の作品分類検索項目調査に協力。
- 創立50周年記念事業特別委員会を設置し、祝賀会、沿革史、21世紀未来展の実務作業を展開。
- 1999年(平成11)
- 旧著作権法で保護期間が満了した写真の復活(遡及)を求めて文化庁に陳情。意見書を提出。「写真著作権復活問題を考える会」を催す。
- 総会を東京都写真美術館ホールで開く。
- 著作権法100年を記念して著作権セミナー「デジタル時代の写真・どう使えるか、問題は何か」(主催・全日本写真著作者同盟)が開かれる。
- 著作権法100年特別功労者として清水光子、丹野章が文部大臣から表彰される。
- 2000年(平成12)
- 『日本現代写真史1945~1995』を平凡社から出版する。
- 創立50周年記念祝賀会を赤坂プリンスホテルで開く。来賓を含め591名出席。
- 50周年沿革史を発行。
- 21世紀未来展「The Heart of Japan」(朝日新聞社共催)を渋谷Bunkamuraザ・ミュージアム、福岡アジア美術館、大阪ハービスHALL、名古屋JRセントラルタワーズ「パノラマハウス」で催す。写真集『光の中の日本』を刊行。
- 社団法人の理事に会員10名、会員外の有識者10名と監事(公認会計士、弁護士)2名を選び文化庁に申請する。
- 2001年(平成13)
- 日本写真家協会の総会を開き、協会の解散と財産処分案を決議し、社団法人と事業協同組合の設立総会を開く。
- 5月11日、文部科学省より公益社団法人の設立が許可され、15日文化庁長官より許可書が交付される。
- 任意団体日本写真家ユニオンを設立する。
- 社団法人の設立祝賀会を赤坂プリンスホテルで催す。参会者380名。
- 米国同時多発テロ事件被災写真家の家族を救援するための写真展示即売会(東京国際交流財団共催)を催す。
- 2002年(平成14)
- 「メディア規制3法案に反対する」声明を出す。
- 新しいJPSロゴマークできる。
- ユニオン総会で「日本写真家ユニオンと社団法人日本写真家協会を平成15年3月末日までにそれぞれ独立した組織とする」案が可決される。
- 日中国交正常化30周年記念「日本・中国=人と自然と」展(朝日新聞社・中国撮影家協会共催)を東京都写真美術館と北京首都図書館で催す。
- EP会長セス・レスニック氏を招いてシンポジウム「インターネット写真ビジネスの現状」を東京都写真美術館で催す。参加者150名。
- 2003年(平成15)
- 企画展「日本の光景」を東京都写真美術館で催す。
- シンポジウム「写真撮影・掲載・表現はどこまで許されるのか」(朝日新聞社共催)を有楽町朝日ホールで催す。聴講者600名。
- JPS監修『写真著作権』を草の根出版会から刊行。
- 研究会「引用の範囲と著作権侵害の境界を探る」を催す。
- 札幌コンベンションセンターで「2003JPS展」を催す。
- 2004年(平成16)
- 総会を西熱海ホテルで開き、賛助会社による「体験工房」を催す。定款を変更し、監事を3名に、暫定予算の項を設ける。細則に名誉会長を設ける。
- 文化庁の「丸の内元気文化プロジェクト」で篠山紀信会員の講演会を催す。
- 中越地震被害者救援写真展示即売展を催し、112万円を寄付する。
- 2005年(平成17)
- 小学生を対象とした「写真学習プログラム」を実施する。
- 「日本写真保存センター」設立趣意書を配布。
- 30回JPS展の一般公募に文部科学大臣奨励賞(31回より文部科学大臣賞)を、ヤングアイにJPS会長賞を設ける。
- 東京都写真美術館維持会員になる。
- 「名取洋之助写真賞」を創設し、新進写真家の発掘と育成を図ることにし、第1回受賞者に清水哲朗、奨励賞に伊原美代子を選び表彰し、受賞作品展を東京・大阪の富士フォトサロンで催す(’06年)。
- 法人設立5周年記念事業「日本の子ども60年」展を東京都写真美術館で催し、引き続き名古屋、京都、横浜で催す(06年)。入場者約50,000人超。写真集『日本の子ども60年』を新潮社より発刊。
- 2006年(平成18)
- 平成18年度の総会を初めて京都で開催。細則一部改正。会費を40,000円、賛助会費を3口以上、入会金を50,000円と決めた。
- 「日本写真保存センター設立推進連盟」(代表森山眞弓、副代表田沼武能)発足。文化庁に要望書を提出。
- 国際交流基金による「日本の子ども60年」海外巡回展始まる。
- 大阪で著作権研究会「肖像権と表現の自由」を行う。
- 国際交流セミナー&レクチャーを各国の大使館で催す。
- 2007年(平成19)
- 文化庁より「我が国の写真フィルムの保存・活用に関する調査研究」の事業委嘱を受け、有識者、専門家による調査研究始まる。
- 総目次『会報50年の歩み』を発行。
- 後援した「関西写真家たちの軌跡100年」展(関西メンバーズ主催、兵庫県立美術館ギャラリー)を催す。
- 07JPS展は東京展の会場を東京都美術館から東京都写真美術館へ移して催す。会員テーマは「シリーズ日本」として、’07「家族」、’08「食」、’09「住」で実施する。
- 「写真学習プログラム」に参加した小学生の写真300点が“PHOTO IS”小学生の眼(ミッドタウンホール)で展示。
- 新入会員展の会場をアイデムフォトギャラリー「シリウス」に変更する。
- JPCA経団連ポータルサイト「PhotoGrafica」の運用始まる。
- 高文連写真部会との共催で高校写真部顧問を対象とした「デジタル写真講座」を大阪と前橋で行う。
- 朝日新書『スナップ写真のルールとマナー』を朝日新聞社から刊行。
- 写真愛好者を対象にしたフォトフォーラム「写真力ってなんだ」(講師:立松和平、篠山紀信、中村征夫、田沼武能 有楽町朝日ホール)を催す。