「表現者たち」vol.18 八木 ジン

Vision / ビジョンと作品 八木 ジン

 

もし一枚の写真に人生を託すとしたら、
その作品をどのように想像するだろうか。

作品やプロジェクトにすべてを捧げるとしたら、
それはどんな姿で、どのように世界へ刻まれていくのだろう。

僕が歩んできた道は試行と挑戦の連続であり、
常にその問いと想像とともにあり、表現者として果てのない旅のように続いている。

むしろ、それこそが一番楽しいことだ。
 


初めて個展を開いたのは2005年。

京都の小さなカフェだった。
「ここに作品を飾らせてもらえませんか?」と
同世代のマスターに尋ねると、
「ぜひ!」と快く応じてくれた。
数点のグラフィック作品と絵を展示し、
自作のフライヤーを配って仲間を呼んだ。
あの日のささやかな始まりから、気づけば20年が経つ。
 

 

しかし、次の本格的な個展までには15年の空白があった。
その間は、表現よりも「やりたいことをやるための土台づくりと生き抜く為の作業」に追われていた年月だった。

20代の頃は全く別のことに没頭していた。
カードローンでシーケンサーやMIDIオーディオインターフェース、キーボード、パソコンを一式そろえ、自作による音楽制作を始めた。クラブでのDJからキャリアをスタートし、舞台音楽やテクノ、ハウス、ハードテクノ、トランス、トラッド、アンビエント、エレクトロなど、さまざまなジャンルに挑戦しながら、次第に環境音楽の制作に没頭していった。
京都では老舗クラブ「METRO」で働き、多様な音楽ジャンルが存在する世界の広さを知ることになる。
東京ではテクノバンドを結成し、サポートマネージャーと出会って地方でのライブ活動を重ねた。やがて、ソニーから発売された『攻殻機動隊』のゲーム音楽制作の一曲を依頼され、オムニバスアルバムにも参加することとなった。その後もクラブでのライブ活動をしながら、様々なイベントやTOKYO GAME SHOWなどにも参加した。
当時、エイベックスや吉本エンターテインメントなどから所属の打診を受けたが、どこにも強い興味を持てず契約には至らなかった。音楽制作を続けながらアルバイトに明け暮れる日々が続き、「就職」という選択肢は自分の中には存在していなかった。自分の未来を想像が出来ずに時間だけが過ぎていった。
バイトと制作に明け暮れる毎日は、社会の基準から見れば遠回りだったかもしれない。しかしその時間こそが、自分の表現の「土台」を育てていたと今では分かる。焦らず、立ち止まる時間にも意味があるということを知る。
その後も東京から京都、東京と拠点を転々とした。
本格的な再始動は、2020年。
KYOTOGRAPHIEのサテライトイベント「KG+」をきっかけに、自分の写真スタジオ「LS STUDIO」をギャラリーとして使い、個展を開いた。
 

2020|内面の不自然の発露(Unnatural Nature)
KG+/LS STUDIO & GALLERY KYOTO

人の中に隠れた自然/不自然を視覚的に描き出す。
人は「自然」を加工し「不自然」をつくる。
「自然」から生まれた「不自然」が、人と地球を壊していく──その矛盾。
その混沌が自然に溶け込み、やがて自然そのものを壊していく。

「自然」素材を人が加工することで「不自然」を生む。

それが巡り巡って人間と地球環境を壊す力になる──その感覚から作品化した。

風刺に堕ちない一枚像を模索するなかで、言葉ばかりが先行した時期もあった。
(もしくは両方ないこともある。)
しかし、人は同じ自然素材から医薬品も楽器も家も文化も作ることも改めて感じた。

自然はただ沈黙し、ただ在る。

この矛盾を刻むのは、使う側の想像力と選択なのかもしれない。
破壊の力も、生かす力も、同じ手の中に宿る。

きっと「自然」と「不自然」は敵対ではなく、光と影のように表裏一体。

そのはざまにこそ芸術の余白がある。

壊すことも創ることも人間の営みであり、
その狭間から見えてくるものを作品として探したいと思った。
 

2021|曖昧な境界線模様(Textile of the Border)

KG+/LS STUDIO & GALLERY KYOTO

表(裏)から見る世界、裏(表)から見る世界。
内(外)から見る世界、外(内)から見る世界。
内側と外側では見えるものが違う。
境界線には、それぞれ模様がある。

被写体にはアクリル板に描いた絵を手にしてもらい、
あるいはプチプチで顔を包み「ラッピング」して撮影した。
プチプチを潰す行為は境界線を消し去る儀式のようで、プチプチというギャップを潰す気持ちよさも含ませた。

音や感触とともに現実と表現のあいだが曖昧になっていく。
被写体の放つオーラに呼応するように絵を用意し、
その瞬間だけの関係性を写真として定着させた。

「本当に写真は真実だけを写すのか」

写真の価値は「事実の証明」から「人がどう受け取るか」へとシフトしていると感じる。AIと現実の境界が曖昧な現代ではなおさらだ。

しばしば議論になる。「写真は本当に真実だけを写すのか」。
写っている表情はその人の感情そのものか。
本当に見たままの世界なのか。

「写真は真実を写す」

シャッターの瞬間の空気、顔、場所は加工しない限り実在したもの。
だから写真は歴史の証拠となり、報道や科学で信頼されてきた。
被写体の表情も、その瞬間の「真実」である。

「写真は真実を写さない」

表情は内面をそのまま表すとは限らない。
笑顔の裏に悲しみが潜み、沈黙の顔に安堵があることもある。
また撮影者の画角・光・タイミングの選択で「見せたい真実」に形を変える。
その意味で写真は「真実の断片」にすぎず、演出や解釈を帯びる。

僕の解釈では、写真=解釈を含んだ真実ではないか。
その「解釈を含んだ真実」という考え方自体が人に委ねられて面白い。

解釈という意味では、
歴史は常に再解釈される。ある側からの真実が別の角度では虚構になる。
それは個人史にも同じだ。解釈の更新こそが新しい自分へ導く。
過去は変えられないが、過去の意味は変えられる。

僕の道は常に解釈で形を変えてきた。
読み方、捉え方ひとつでポジティブにもネガティブにもなる。
黒歴史を悔やむのではなく、新しい視点で見直すことで価値観を再構築できる。
記憶は固定ではなく、生き方に応じて書き換えられていく。
その体験、経験があったからこその今があるのだ。

Never too late to start anything!

展覧会のタイトルを曖昧な境界線としたのは、やはり
この真実なのか解釈なのかの狭間にある一定のプロセスを感じたからだと思う。
 

2022年|京都弁護士会ポスター 「LGBTQ+」

京都弁護士会の依頼で、LGBTQ+をテーマにセミナーのポスター用に作品を制作。
法と社会の接点で人権や多様性を可視化することは、写真家として新たな挑戦だった。

知人にモデル協力を依頼し、アクリル板に描いたカラフルなドット絵を手に持ってもらった。人から投げかけられる言葉、色とりどりの視線や声を象徴する用に凹凸を作り
ある一方からの言霊が張り付いている、受け止めている。

その筆致は「多様性」と「傷つき」を同時に孕む。
鮮やかな虹色は尊厳と多様な在り方を示し、その奥に潜む痛みや葛藤も暗示する。
被写体は板の影に隠れているのか、堂々と立ち現れているのか。

絵の具の立体的な質感はモデルを柔らかく包み、ポップで親しみやすい印象を残す。
「重苦しい訴え」ではなく、「自然体で多様性を受け止めよう」というメッセージを込めた。

さらに、絵の具を載せたアクリルボード自体を象徴として
偏見や境界は絶対的な壁ではなく、手を伸ばせば外せるものだと示唆した。

この作品は議論を複雑にするのではなく、
日常の延長に開かれた扉であることを目指した。

2022|Solo Exhibition @ Tune Stay Kyoto

透明なアクリル板に絵を描くと、裏側にはまったく異なる模様や風景が立ち現れる。
一つの面の中に、二つの世界が同時に広がっていくようだ。
人の何気ない言葉や行動が、思いもよらぬところへ波紋を広げていくように、
わずかな変化が宇宙の裏側にまで影響を及ぼす ―― まるでバタフライ効果のように。
この作品は、僕にとって「絵だけで挑んだ初めての個展」となった。
 

2023|多感な日常とパニックな夜

Sensitive Daily Life and Panicky Night/@バックスギャラリー京都

東京で見たネオン夜景、揺らぐ精神状態。
曖昧な境界線は自分との揺らぎと行き来する。
この時の作品は写真だけでなく絵もあり、抽象画のレイヤーを重ねた。
コロナ禍、異業種交流会に参加。早い段階でリーダーを任され役職に就いた。
組織拡大とともに早朝ミーティングの数は増え、昼は撮影、夕方は編集、夜は見積・請求、深夜は資料準備、翌日のミーティングの練習をした。
幼い子を育てながら家族がコロナに感染し、時間感覚が歪んでいった。
ある晩、運転中に意識が飛び、目的地付近で我に返った。
以後、通知音だけで動悸が止まらない。帰宅してソファに座ると身体が動かなくなり、涙と浅い呼吸。
過労と重圧が静かに心身を壊していた。仲間の「もう抜けてもいい」の一言に救われたが、後ろめたさも残った。
いま振り返れば、退くことでしか生き残れない瞬間だった。
仲間のおかげで命拾いをした。

動悸と発作が落ち着くまで二年を要した。

焦りながらも、それは「自分を取り戻す」ために必要な時間だったのだと思う。

肩書きを転々とし、自分の居場所を探した末に残ったのは、
カメラと「アーティストとして生きる」感覚。

どんなに追い込まれても、毎年の個展だけはやめなかった。
作品づくりを手放さなかった自分に、いまは「やめなくてよかった」と言える。

僕にとって作品は「写真そのもの」ではなく、写真から始まる“何か”。
頭の中の風景、記憶の断片、時間の層を形にしたい。
透明なアクリル板を重ねて奥行きを生み、
幾重にも積み重なる記憶や歴史の複雑さを視覚化する。
表面だけでは見えない内側、時間の重なり、記憶の残響を「見えるもの」に変えるために、僕は再びシャッターを切りはじめた。
問題は「自然」か「不自然」かという単純な二項ではない。
重要なのは、それをどう使い、どう責任を引き受けるかだ。

写真という枠を越え、目に見えないものを顕在化させようとする行為——
それこそが、僕の表現の核心にある。

同時に、僕自身はいまだ定まらない矛盾そのものでもある。
揺らぎながら、それでも進み続ける。

その曖昧さの中に、まだ言葉にならない“何か”が潜んでいる。
いまだに掴みきれないもどかしさと、
やがてそれを理解できる瞬間が来るという確信。
その日を待ちながら、今日も作品のことを考えている。
 

2024|輪廻、循環の断片

Samsara – Fragments of Circularity

「輪廻」という言葉が2024年の僕に自然に響いた。
それは宗教・哲学の「生と死の循環」だけでなく、創作における反復や再生のメタファーでもある。
写真と絵画から生まれた断片を切り出し、ひとつのキャンバス上で連続反復させ、
“生まれ変わり”のような芸術のプロセスを可視化した。
輪廻の円環と“解脱”の道筋を重ねる。
制作の起点は、過去の体験と重なる“ブレ”の感覚。
スローシャッターで街を撮ると光と人の輪郭が揺らぎ、境界が溶ける。
それは朦朧とした記憶にも似ていた。立ち止まり崩れ、また再生する人生
その感覚を封じ込めた。
撮影素材をもとにレイヤーを重ね、光と影が混ざる“トンネル”のような構成へ。
どこを切っても同じ絵柄が現れる金太郎飴のような反復と循環。
そこにあるのは終わりではなく連続、生成と変化のリズムだ。
街の光、歩く人々、自分の描いた絵──すべてが壊れ、重なり、新しい形として立ち上がる。
「輪廻、循環の断片」は無限の可能性を探る試みであり、同時に“解脱”という静寂へのプロセスでもある。
 

同年9月、ニューヨーク・ブルックリンにて、東京の銅板作家・芸術家MABOとの二人展を開催した。
キュレーターは、国連から栄誉賞を受賞したヴィダ・サバギ(Vida Sabbaghi)。
展覧会の実現を支えたのは、母の友人であるバーバラの存在だった。

きっかけは、2023年の1枚の年賀状だった。
昔からの友人であり作家のMABOに「何か一緒にやろうよ!」と書き添えたところ、すぐに電話があり、
「ニューヨークで展覧会をやってみたいよね
?」という提案を受けた。でも1人ではきついからと
まずはニューヨークのアートフェアへの参加も提案されたが、参加費だけで一人あたり80万円以上、展示期間はわずか3日間、しかも出品は一点のみという条件だった。
渡航費や制作費を含めると現実的ではなく、すぐに別のプランを模索し始めた。
それが、結果的に“プランB”から“プランA”へと昇華することになる。

バーバラに相談したところ、ちょうど子育てと仕事が一段落し、
アートのコーディネートやサポートをしたいと考えていた彼女が快く手を挙げてくれた。
彼女はすぐにブルックリンのギャラリーを探し、現地との調整を進めてくれた。
その後、数多くの人々の協力と支援を得て、この展覧会は現実のものとなった。

《輪廻、循環の断片》

お酒のボトルを流し撮って得た抽象イメージを基盤に、人は飲み、忘れ、また飲む──
その反復のリズムが日常における輪廻(サンサーラ)を映す。
写真や絵画の断片をキャンバス上に連続配置し反復させるプロセスは、
芸術の無限の可能性を可視化し、輪廻から解脱へ至る道程を暗示する。
偶然に見える抽象でありながら、その奥に人の営みと宇宙的循環が重なる。
忘却と記憶、束の間と永遠、煩悩と解脱が一画面に折り重なる。
 

2024|KUU(空)— Moments of Circularity
会期:2024年9月26日–10月24日(〜11月16日まで延長)
会場:THE IW GALLERY in COPE NYC

本シリーズでは鉱石をライティングして撮影し、反射面を左右対称に構成してロールシャッハのような像を意図的に作った。
心理学でいうパレイドリア”無意識に意味や形を見出す反応”をテーマにしている。
観る人の経験や記憶によって見えるものが変わる。その曖昧さが関心の中心だ。
会場では、子どもは動物を、中高年はSFのキャラクターを、ご高齢は仏像や神の姿を見出した。
イラストレーターは「新しいキャラクターのアイデアを得た」と語った。
同じ作品でも、見る人によって全く異なるイメージが立ち上がる。

作品は一方的に「見せる」のではなく、
観る人の記憶や想像力を媒介して初めて“完成”する。

ニューヨーカーの反応はまた面白かった
彼らは僕の作品と対峙しては、まず感情から語り、どのように感じたかを教えてくれた。その後に構図や意図を問う“感情から始まる対話”があった。
そのやり取りの一つひとつが、僕にとって作品の続きを生きる感覚をくれて
新しい視点へとつながった気がする。

2025|KG+ 2025 SOLO EXHIBITION

「20 years」/アートスペース感(京都)

2005年の初個展から20年。空間演出家・毛利臣男氏が開いた「アートスペース感」で個展を開催。

次回KG+の会場を探す中でこの場所を思い出した。母もかつて個展を行った場所だ。
オーナーに連絡すると快く迎えられ、企画展として動いてくれた。
 

HPで母・八木マリヨの名前を見つけ、ちょうど20年が巡っていたことに気づく。
同じ場所で母の記憶と自分の表現が円を描くように再び交わった。

奥の和室には立体作品を置くと最初から決めていた。
静寂の中に時間が滞留する空間で、平面では届かない「存在の重さ」を立ち上げたかった。
テーマは再び「自然と不自然」。

木のベースの上に、プラスチック製スタイロフォームを構築。
自然から生まれた素材が人の手で不自然へ転化する。
有機的な木の土台に人工的な黒い塊がそびえる姿は、現代の象徴でもある。
二つの作品は互いに向かい合い、取り外し可能で壁面にも掛け替えられる。
固定ではなく、意志と解釈によって形を変える“流動体”だ。
積み上げられた連なりはゴミなのかアートなのか──その判断は作り手ではなく観る者に委ねられている。
形を変え、組み上げ、また崩せるこの作品は、トゲのようなエッジを持ちながら脆く、
不安定な現代のバランスを映す。

手前の中庭には、母の作品を置いた。
それは、20年前、この場所で展示されていたものと同じ作品だ。

少し前に母と妹は銀座POLA ANEX MUSEUMで二人展を開催したことがある。
僕はその場にカメラマンとして参加したが、家族でありながらどこか遠くから見ているような、少し羨ましい気持ちがあった。

いつか、カメラマンとしてではなく、自分もあの輪の中に立ちたい。
そう心の奥で静かに誓ったのを、今でも覚えている。
 

「Module Core」
素材:スタイロフォーム、木材、着色
高さ約180cm サイズはその度可変

この立体作品は、軽量で無機質なスタイロフォームを用いながら、黒一色の断片を組み上げ、人の気配を宿す姿をかたちづくったものである。
存在と不在のあいだをゆらぎながら、記憶の残像としてそこに立つ。
この作品は、記憶と崩壊、環境破壊、そして再構築の美学をまといながら、
空間に沈黙の問いを立ち上げる。かたちの隙間にこそ、想像の余白は広がっている。
この作品は、展覧会のたびに組み直され、形を変えることができる可変型の立体作品である。構造そのものに“固定されない存在”のコンセプトを与え、展示空間との対話性や、毎回異なる「かたち」へと変容していく彫刻の生態系を提示する。
彫刻でありながらインスタレーションであり、インスタレーションでありながら集合的写真の記憶も孕む――「変化し続ける像」の体現である。

『共にあるという選択』
人間の業は、すでに自然の一部となっている。
人間が生み出したプラスチックは、もはや地球上から消し去ることはできない。
自然の対極として扱われがちだが、私はその境界に立ち問いかけたい。
もし、木の幹からプラスチックが芽吹くとしたら。
拒絶ではなく受容へ。悲しみではなく未来への覚悟へ。
自然と人工を明確に分けず、両者がひとつの身体/風景として共に呼吸するイメージを形にした。
私たちは何を生み、何と共に生きるのか──その問いを枠の中に仕込んでいる。
 

“REVERSED CITY & MOUNTAIN”

上下反転によって二重の解釈を提示する。
逆さにすれば夕暮れの街が水面の光として立ち現れ、
反転すれば荒々しい岩山の断面が姿をあらわす。
都市と自然、文明と大地は対立ではなく、視点の転換で互いに映し合う。
モナコの岩山や水面を基盤に、断面、岩山、島、鳥、暗闇の要素をコラージュし、光と影の交錯を強調。
境界を曖昧にし、相互反射する「間(ま)」を生むことで、現代景観の多義性を表現した。
 

2025|「MIX UP」 公益社団法人日本写真家協会選抜展

公益社団法人日本写真家協会(JPS)のサポートを受け、
初めて「KG+」として実現した特別な機会だった。

テーマは「MIX UP」。
日本写真家協会から選抜された3人の写真家による展示で、
三者三様の表現がひとつの空間に交わった。

僕は、鉱石を題材にした写真作品をあえて切り刻み、再構成するという実験を行った。
ニューヨークで学んだ「間(ま)」や空間構成の感覚を、
あえて壊し、“フレームを外す”というアプローチに挑戦した。
壁に固定するのではなく、観る者の自由を取り戻すように、
展示の境界そのものを取り払った。

会場には写真だけでなく、立体やインスタレーションも共存し、
中央には3人の共同作品を設置した。

真ん中の金魚鉢の中には、3人それぞれの写真の断片が入っている。
来場者はそこから自由にピースを取り出し、
手前に設置された鏡の表面に貼りつけていく。
その行為の積み重ねによって、会期中に一枚のコラージュ作品が生成されていった。
3人の作品が来場者の手によってMIX UPされていくのだ。
無数の写真片で覆われ、まるで呼吸する生命体のように変化していた。
天井にはライティングによる反射の作品まで出来上がる偶発的な作品も見え隠れしていた。

ありきたりな制約を取り払うことで、むしろ写真の本質が立ち上がる
それを実感した展示だった。
 

「鉱石再構成|Fragmented Core」
素材:聚楽紙 スタイロフォーム
制作年:2025年
鉱石を撮り、BIGBANGのように配置した。数日見つめて展覧会発表二日前に切り刻んでしまった。その後は再び結晶のように組み直す作業。乾かしながら3枚1組で組んでは乾かしを繰り返した。
静止していた時間が、鋭いかけらとなって爆ぜる。自然がつくったかたちを、人の手でもう一度、視覚の彫刻へと変える。ひとつひとつの断片は個を保ち、全体は調和と混沌のあいだに揺れている。その裂け目に、美しさが生まれた。写真というメディアの輪郭を押し広げ、
「イメージの彫刻化」という新しい地平を試みたい
 

「NO WAR NO BUTS」
素材:聚楽紙 スタイロフォーム +アルミパネル
技法:絵の具 アクリル板 フィルム スタイロ切り抜きなど
制作年:2025年
鉱石の写真。切り抜かれた対称の静けさに、
絵の痕、写真の欠片、記憶の残骸が重なる。
その上に、ただひとこと。NO WAR NO BUTS
戦争はいらない。言い訳もいらない。
言葉が、視覚の奥に沈んでいく。
最上層には、人の顔。アクリルパネルに描いた絵を手に持って、
撮られたその姿が、強さにやわらかさ
自然と人工、抽象と発語、個と世界。
その裂け目に立ち、問いかける。
共感するとは、どういうことか。
 

「Double Exposure of the Self」
素材:聚楽紙 スタイロフォーム
技法:モノクロ写真、切り抜き、厚紙パネル
制作年:2025年
自分の顔に、自分の顔を映す。
投影と撮影——ふたつの「見る」が重なった瞬間、
顔はズレ、揺らぎ、二重写しとなって
問いかけてくる。
「私は、誰か。 どんな顔をしている?」
ざらついた聚楽紙が、
光の滑らかさを受け止められない。
写真に触覚のような深さ
平面でありながら、切り抜いた形
見るたびにどちらの顔を見るのか。
虚と実のあわいに立つ、
思考のポートレート。
 

「Cerebrate the Difference」 肖像という名の祝祭
素材:スタイロフォーム 漆喰 OPP プリント ⾊加⼯のみ
制作年:2025 年
透明な光が、顔をすり抜ける。スペクトルのように砕けた個性が、
結晶の像となって再び⽴ち上がる。
撮影されたのは、⼋⽊ジンの個展に訪れた「顔」たち。
⼿に持たれたアクリルは、ただのフィルターではない。
レトロな建築に使われる透過板である。光を歪ませ、⾊彩を揺らし、輪郭を曖昧にする。
その歪みは、現実を抽象へと導き、⾒る者に“思索”という名の祝福をもたらす。
Cerebrate。祝うこと、そして考えること。
この作品は、多様性への静かな応答であり、
匿名性の時代における、新たな肖像のかたちである。
⼈もまた⼯夫する

「パレイドリアの氷」
素材:聚楽紙 スタイロフォーム
技法:モノクロ写真、切り抜き、厚紙パネル
制作年:2025年
氷が見せた一瞬のかたちを、ライティングし左右に反転させて、
仮面のような姿に仕立てました。見る人によってはうさぎ、羊、仏陀
聚楽紙に印刷し、切り抜くことで、写真はやがてキャラクター化し
存在感を帯びてゆきます。
見る人の心の奥にある記憶や感覚に、そっと触れられるように。
幻と現実のあわいに、静かにたたずむイメージを描いて行きます

「目を覆う旗」
素材:聚楽紙 スタイロフォーム
技法:モノクロ写真、切り抜き、厚紙パネル
制作年:2025年

目を覆う旗は、国家の単色であり、沈黙の象徴でもある。
戦争と情報の暴力にさらされ、視ることも視られることも奪われた身体。
切り抜かれた輪郭、不定形の影の中に、言葉にならない抗いの意思を刻んだ。
この作品は、記録と抽象のあわいに立つ。
写真であり、彫刻であり、沈黙する声のレリーフである。
見ることの倫理を問うために、私は“見えなくする”ことから始めた。
 

The more barriers, the tighter the bind.(パリ公開作品)

人が障壁に囲まれるとき、孤立を強いられる一方で、内側の絆や存在意識はむしろ強く結ばれていく。
このポートレートシリーズは、その逆説を「身体」と「空間」の対話で可視化する。
被写体は単なるモデルではなく、社会的・歴史的な障壁を背負いながら生き抜く存在として描かれる。
障壁は「閉じ込める力」であると同時に「支える力」でもあることを示す。
 

EVA GREENさんとの出会い

『007/カジノ・ロワイヤル』を見直した。
19年前とは思えないクオリティと迫力、ストーリー、撮り方。
ダニエル・クレイグの初期ボンドの破天荒さ、そしてエヴァ・グリーンの圧倒的な存在感。
そんな彼女と今年4月に仕事をする機会を得て、僕の作品も気に入ってくれ、快くアート作品にも参加・協力してくれた。

この作品は、アクリルパネルに彼女のイメージと新プロジェクトを想起させる絵を描き、それを手に持って撮影した非合成の写真だ。

コロナ禍でアクリル越しに会話した記憶
声にならなかった言葉、飛沫の痕跡、心の距離。

そのすべてが層となって一枚に溶ける。
“境界”のリアルな記録として、人と人の見えない距離やバリアを物理・心理・感情の層として可視化する試み。
 

2025 6/27–7/27第12回 清州国際現代美術展
The Light and Color of Asia – The Resonance/Schema Museum(清州)

Schema Museum(2009年、キム・ジェグァン教授設立)は、幾何学的アートと教育理念を反映する場で、若手支援・国際交流・アート教育を推進する清州の文化拠点だ。
その意義深い場所で、韓国およびモンゴルのアーティストと初めて展示した。

出展作は日本の伝統素材聚楽紙の質感を活かし、「借景(Shakkei/Borrowed Landscape)」をテーマに制作。
 

朝焼けと夕焼け
一日の始まりと終わりを象徴する二景を並置し、その間を西陣織のリズムを思わせるラインでつないだ。
写真素材をもとに織りの律動を再現し、さらに上層に絵筆を重ね「絵画的写真」に仕上げた。
太陽は東から昇り西へ沈み、ふたたび巡る。その循環を紙と光と時間のレイヤーで表現した。
日々を超えて「光と色が響き合うアジアの呼吸」を感じてもらう展示を意識した。

2025 7/4–28|「間(ま)をつくる」— 韓と日のあいだに
7月4日〜28日

韓国のアーティストSansung Baeさんの紹介をきっかけに実現。
国交正常化60周年を記念し、日韓各5名が参加。
自然観・民藝的精神・時間感受性の共通性と差異を「間(ま)」という視点から探る。
ここでいう「間」とは、空白ではなく、言葉のあいだの沈黙、光と影のはざまの空気、心と心が出会う余白。
摩擦や誤解の「あわい」にこそ、静かに共鳴する文化の呼吸がある。
見えない「間」をつくり、感じ、違いを受け入れ、新しい関係を築くための一歩とした。
 

Roots / ルーツ

1979年、京都・銀閣寺近くの病院で生まれる(今は現存しない)。
幼少期は滋賀県大津市・比叡山の麓、比叡平。山に抱かれ、京都に隣接しながらも時間はゆっくり流れた。
両親設計の家は、父が敬愛したフランク・ロイド・ライト「落水荘」に触発され、打放しコンクリートの要塞然とした外観ながら、冬は底冷え、夏は暑い。快適さより発想の自由が優先された。
細い階段や意外性に満ちた設計が「普通」を裏切り、面白さと自由を感じさせた。
常識に縛られない暮らし方が当たり前だった。
 

比叡平小学校→皇子山中学校→近衛中学校→北陵高校。
環境が変わるたびに自分の立ち位置を更新する感覚が育った。
北陵高校2年目に留学を決意し、カナダの公立高校へ。英語は話せず、辞書片手にホームステイファミリーに「Can I help you?」と伝えるのが精一杯だったが、友人や先生に支えられ壁を越えた。

言語習得のコツはアウトプット。とにかく実践、友達と沢山話した。

僕のルーツは複合的だ。転校、アーティストの母、日常にあったアート、離婚、シングルマザー、海外生活。
導かれたのは「固定観念を疑い、システムから脱出すること」。
常にプランABCDまで想像力を広げてしまう生き方。
良くも悪くも一つの正解に留まらず選択肢を並走させる

英語を学ぼうと思わせる、その環境を用意してくれた両親には感謝と尊敬しかない。結局、決断の蓄積が僕の強さの源泉となり、表現の軸を形づくっていると思う。

Inheritance / 継承

母・八木マリヨは環境芸術家。縄という太古の素材に宇宙観と身体性を重ね、「結ぶ・つなぐ・立ち上がる」を造形化した。若くしてイサム・ノグチの現場で素材と空間を身体で学び、大規模インスタレーションの礎を築いた。

京都府文化功労賞、フランス・アーバンアート賞、豊中市都市デザイン賞、DAAD招聘、国際交流基金助成、人文学名誉博士(アナハイム大学)など国内外で高く評価。
作品は東京国立近代美術館工芸館、クリーブランド美術館、ロングハウス・リザーブなどに収蔵。
 

54歳で低悪性リンパ腫を発症後も20年以上、闘病と制作を並走。
絵本『くるくるくるん』『おひさまはいつも』に「循環」と「共生」を託した。
晩年には石彫を構想し、逝去直前のスケッチは僕と妹に託され、京都・法然院などに奉納された。
 

自宅には世界中のアーティストや研究者が集い、言語と文化が交錯した。
贅沢はなくとも民芸品や古いレコード、海外のアートに囲まれた生活。
独学の英語を自在に操る母の姿は「世界とつながる」ことの意味を体感させ、留学の原動力になった。
 

母の著『生命の螺旋―縄の哲学・縄ロジー』(淡交社)冒頭にはこうある。

「止まない非人道的行為や戦争、人為的災害は悲惨を極める……地球はもう黙ってはいない。分断化や自国ファーストが加速する今、新たな価値をどう生むのか。人類としての道筋を問いたださねばならない。」
「西洋近代の人間中心主義から抜け出さねばならない。科学は人類を豊かにしたが、地球の存続をも危うくしている。芸術は未知を思索・探究・創造する力を持つ。太古から芸術は人類の生きる根拠の根元にある。」

母の思想と芸術の核心がここに凝縮されている。
母の詳細はWEBや著書を参照してほしい。
www.mariyoyagi.net

父・吉村元男はランドスケープアーキテクト。京都大学農学部卒業後、井上卓之に師事し大阪万博会場計画に参加。
1968年に環境事業計画研究所を設立。新梅田シティ、京都府立植物園、白鳥庭園「汐入の庭」、滋賀県「陶芸の森」、神戸ハーバーランド修景などを手がけた。
万博記念公園の造園設計で日本造園学会賞を受賞し、都市と自然を結ぶ先駆とされた。
1970年万博跡地は「緑に包まれた文化公園」として整備され、現在も多様な生態系が息づく。
万博で使われた資材を転用して森の傾斜を作ったとも言われる。最近では『奇跡の万博公園 ― いま、半世紀のレガシーを問う』を出版しメディアから注目されている

子どもの頃、僕は両親の功績に無頓着だったが、
社会に出て家族を持ち、生活の重みを知るにつれ、その偉大さを実感した。
母の制作を手伝い、時に海外現場へ同行した経験、
都市と自然を結び直す父の思想、それらは無意識のうちに僕の根となった。
だからこそ僕が立体や空間に向き合うとき、抵抗や壁はなかったのだと思う。

妹の八木夕菜は、ニューヨークのパーソンズ美術大学建築学部を卒業後、建築実務を経て「視ることの本質」を主題に、写真と建築思考を横断する表現を続けている。
写真を平面に留めず、アクリルブロックや銅版・エンボスなどの素材操作によって“見る行為”そのものを体験化する作品を展開。
ポーラ ミュージアム アネックス個展《NOWHERE》(2018)、KYOTOGRAPHIEメインプログラム《種覚ゆ / The Record of Seeds》(2021 建仁寺 両足院)などで発表し、KYOTOGRAPHIEポートフォリオレヴュー ハッセルブラッド賞やDESIGNART BIG EMOTIONS AWARDを受賞。
金沢21世紀美術館やThe Reign Hotel Kyotoに作品が収蔵されている。

妹は僕にとって、いまも誇りであり、刺激的な存在だ。

Absence and Presence / 不在と存在

両親が離婚したのは、僕がまだ小学生の頃だった。
突然知らされたその事実を、幼い頭ではうまく理解できなかった。
母は静かに僕と妹に尋ねた。
「どちらについていく?」
僕たちは母を選んだ。

父の記憶は断片的で、
母の言葉を借りれば「家庭的な人ではなかった」という一言に尽きるのかもしれない。
どちらかというと研究や仕事に没頭しているようだった。
家から父の存在が消えたあと、
僕は自然と「八木家を背負う」という意識を抱くようになった。
幼いながらも、どこかで“自分が支えなければ”という思いが芽生えていたのだ。

その空白を埋めるように、僕は母の活動を傍らで支えた。時には海外で塩の山を作り、
福井県の縄文パークでは、左官作業を手伝い、時にはコンクリートで型を作った。
縄を編み、巨大なインスタレーションが空間に立ち上がっていく
その現場の空気を、手のひらと身体で感じながら育った。
作ること、立ち上げること、壊してまた作り直すこと。
そのすべてが、母にとっては「生きること」と同義だった。

そこには、アーティストとしての不安定さと、
その背後に潜む強靭な意志が常に同居していた。
生活は決して楽ではなかったが、
それは、“安定”を選ばず、“表現”に身を投じる覚悟だった。

幼い僕は、そんな母の背中を見ながら、知らず知らずのうちに学んでいた。
表現とは、誰かに理解されるためのものではない。
内側で生まれた感覚や思想を他者と共有できる形へと変換する
それは、自分が“生きている”という感覚を確かめるための行為だと思う
 

1998年、北陵高校へ進学。
ポケットにはいつも「写ルンです」が入っていた。
友人を撮っては焼き増しを配り、写真は人とつながるための小さな媒介となった。

剣道に汗を流し、カナダ留学中はテコンドーに打ち込み、
放課後は美術室で大きな絵を描いていた。
ブルース・リーに魅せられ、VHSテープを全作集めた。

留学先のアルバータ州キャンモアカレジエイト
目前に広がるカナディアンロッキーの雄大な山々、
そしてその麓で暮らす人々の穏やかさが、
僕の中の「身体」と「心」のバランスを静かに変えていった。

テコンドーという武術と精神性が自分の自信につながったことを今でも感じている。

Sound and Silence / 音と沈黙

2000年、カナダの高校を卒業して帰国。
京都の老舗ライブハウスで働きながら専門学校で音楽を学び、テクノバンド「Delua anti norm」を結成。
渋谷や各地でライブし、楽曲はSONY PSP『攻殻機動隊』に採用。
大手から声もかかったが、商業的成功より3か月の欧州ひとり旅を選ぶ。
ドイツ、スペイン、オランダ、ロンドン、パリを巡り、母と合流してグッゲンハイムなどを訪れた。
旅のコンパクトデジカメで「テクノ」をテーマに撮りはじめた。

帰国後は大手でSEとして働きながら、デザイン・音楽制作・イベントを独学で続けたが決定打にはならず、再び海外へ。
大学院レベルまで英語を学び直してロンドンへ渡航し、Interactive Media & DesignでMA取得。
物価の高い街での生活のためアンティークを仕入れてネット販売をはじめ、2007年「Luke and Stella」を立ち上げ、欧州ブランドを日本に紹介。
商品撮影のために手に入れたNikon D80で教授の助言を受けつつ撮影を重ね、カメラマンとしての基本を学んだ

Collapse and Rebirth / 崩壊と再生

リーマンショックと2011年3月11日の東北の震災が直撃し、セレクトショップ事業は多額の負債を抱えた。
当時の僕にとって「お金を借りる」といえば、消費者金融かクレジットカードのキャッシングしか選択肢がなかった。
だが、調べていくうちに、事業計画を立てれば銀行や公庫からも融資を受けられることを知る。
初めて自分の事業計画書を書き上げ、日本政策金融公庫からの融資を得て再起を図った。

東京を離れ、京都へ戻り、融資を使って「LS STUDIO」を設立。
アパレル撮影とスタジオレンタルを軸に事業を立ち上げ、「10年で年商1億円」という目標を7年で達成した。
だが次第に、広い世界の中で自分の営みが小さく感じられ、器との不一致を覚えた。
18年間続けたアパレル事業は、2024年に静かに幕を下ろすことになる。

2015年、古民家を購入し「白川八木邸」として民泊を開始。
改修を重ね、2019年には檜風呂を設置。
国内外の宿泊者を迎えながら、日々ポートレートを撮る暮らしが始まった。
やがてその空間は、旅人と創作者が交わる場所へと変わり、
アーティスト・イン・レジデンスとして開放する構想へと発展していく。

Epilogue / 終章

2020年以降、KYOTOGRAPHIE「KG+」に5年連続で出展し、映像やインタラクティブ作品を取り入れながら、スタジオをギャラリーへと転じた。
これを機に、国内外での展示活動が本格化した。
日本写真家協会(JPS)への入会によって、多くの写真家との交流が生まれ、刺激と学びを重ねながら、仲間とともに歩む喜びを知った。

2024年にはニューヨーク・ブルックリンで銅版作家MABOとの二人展
《KUU – Moments of Circularity》を開催し、同年、韓国・清州スキーマ美術館「Light & Color of Asia」に招聘。
さらにパリでの展覧会、大阪・京町堀アートフェア、驪州国際写真祭への参加を経て、
2026年にはロンドンでの発表を控えている。
 

僕はいまも「一つの場所に留まれない性格」と共にある。
それは迷いではなく、前へ進むための推進力だと信じている。
音楽、デザイン、事業、そして写真、
形を変えながら歩んできた果てに、
手の中に残ったのは「カメラ」と「アート」だ。

僕の歩みは、常に“解釈”によって更新されている。
同じ出来事でも、角度が変われば意味が変わる。
歴史は絶対ではなく、読み直すたびに姿を変える。
過去は変えられなくても、その意味は書き換えられる。
かつての痛みも、時間を経て光になる。

母や妹、父、そして家族から学んだ姿勢を胸に、
これからも「人」と「人」の間にある問題や境界を探りながら、
新たな起点を見つめ、世界へ向けて作品を紡ぎ続けたい。

表現とは、過去と未来をつなぐ橋であり、僕がいまを生きる理由である。
いつか母のような芸術家を目指して表現し続けたい。
 


 

Profile / 略歴

Jinn Yagi|八木 ジン
アーティスト・写真家。京都生まれ。
ロンドン・ミドルセックス大学大学院 インタラクティブ・デザイン&メディア学科修了(Master of Arts)。
公益社団法人 日本写真家協会(JPS)会員。2005年に初個展、2025年に活動20周年。
2024年9月、ニューヨーク・ブルックリンの THE IW GALLERY にてCultural Producer Barbara Centrella、Vida Sabbaghi をキュレーターに迎えた個展を約1か月開催。
写真を起点に、立体・映像・インスタレーションへ横断しコロナ禍の“アクリル越し”の経験など、距離やバリアの記憶を層として作品化。近年は借景をテーマにスタイロフォーム等の軽量素材による立体にも注力し、空間全体を巻き込む構成力で、写真と彫刻のあいだに浮かぶ「立体像」や人の内面の揺らぎを視覚化する。

個展 展覧会歴

2005『HONESTY』etw(京都)
2020 KG+『Unnatural Nature』LS STUDIO & GALLERY(京都)
2021 KG+『曖昧な境界線模様』LS STUDIO & GALLERY(京都)
2022『LGBTQ+』京都弁護士会/KG+『私と人の境界線模様』LS STUDIO & GALLERY(京都)/JINN YAGI SOLO EXHIBITION, TUNE STAY KYOTO
2023 KG+『Sensitive Daily Life and Panicky Nights』backs Gazai Gallery(京都)
2024 KG+『輪廻・循環の断片』backs Gazai Gallery(京都)/Marche du Film, Festival de Cannes(仏)映画『WILDBOYS』出品/『KUU – Moments of Circularity』THE IW GALLERY(NY)
2025 KG+『20 years』アートスペース感(京都)

グループ展
2022『私の仕事展』Fuji Photo Salon & AMS Gallery(京都・大阪)
2025 第5,6,7回 JPS会員有志関西展「Professional Eyes」
13th Discover the One Japanese Art 2025 in Paris(Espace Cinko, 仏)
第12回 清州国際現代美術展(Schema Museum, 韓)
「間(ま)をつくる」— 韓と日のあいだに(京都・Keiryu)ディファレント京町堀アートフェア2025

主な映像制作
2012 地球へのおくりもの 映像制作 銀座POLA (東京)
2024 映画WILDBOYS(プロデュース)(フランス)
昭和電業・季の美 (大阪・京都)

主なインタラクティブメディアプロジェクト
2017 映像と音楽をシンクロするインタラクティブテーブル『SHUFFLE』(英国)/インタラクティブ・ウィンドウ・ディスプレイ(英国)

引用及び参考リンク:

八木ジン
www.jinnyagi.com

八木マリヨ
www.mariyo.net

八木夕菜
www.yunayagi.com

吉村元男
https://eda-kyoto.co.jp/1_enkaku.html