国際交流委員会企画「表現者たち」vol. 6


 

協  力  細江賢治     

企画構成  佐藤仁重 中村惠美

 


 国際交流委員会では、世界で活躍する写真家を「表現者たち」として取り上げシリーズで紹介しています。今回は、海外でも著名な日本人写真家として細江英公氏に書面インタビューというかたちで登壇いただきます。

 細江英公氏は、舞踏家・土方巽(ひじかたたつみ)を被写体とした「鎌鼬(かまいたち)」(1969)や、作家・三島由紀夫を被写体とした「薔薇刑」(1963)など、独自の美学を持ち、特異な被写体との関係性から紡ぎ出された物語性の高い斬新な作品を発表してこられました。戦後写真の転換期から中心的な存在として活躍され、若々しい精神と明晰な思考で活動を重ね現在に至っています。2003年、「生涯にわたり写真芸術に多大な貢献をした写真家」として英国王立写真協会より創立150周年記念特別賞勲章を受章。2010年に文化功労者、2007年に旭日重光章を受章されています。日本はもちろん世界が認めた偉大な写真家です。

 現在は、清里フォトアートミュージアム(K*Mopa)の館長を務めておられ、海外から国内まで様々な展覧会を開催しています。また、世界の若手写真家を支援する「ヤング・ポートフォリオ(YP)」を開催し、写真文化発展に多大な貢献をされています。

 細江英公氏は数多くの作品を発表されていますが、今回は、「鎌鼬」「薔薇刑」「ガウディの宇宙」について語っていただきました。


 

東北を舞台に、舞踏家の土方巽を撮った『鎌鼬』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。「鎌鼬」は世界が認める傑作です。どのようにして発想・企画されたのですか?

 

 私は東京に住んでいましたが、昭和19年の夏から終戦の年の9月まで、母方の実家である山形県米沢市の親戚の家に学童疎開をしていました。
 その僅か1年余の疎開の記憶を何らかの方法で残したいと考えた時、私の唯一出来る表現手段は、写真でした。しかし、そもそも目に見えないものは写せない。が、カメラの背後にいる写真家にも思い出も記憶も背負うほど沢山ある。そこで常々考えていた舞踏家・土方巽の今までにない素晴らしい本当の踊りを、台ではないところで撮りたいという思いから、彼の故郷秋田へと誘いました。
 そしてもうひとつ、私と同じ東北出身という似通った「土」と「血」を共有する土方の血と舞踏を触媒として、私自身の「記憶」を「記録」することが出来るのでは?と期待しました。
 目的地は、土方の生まれ故郷に近い田代村というところに決めました。村では子供たちと戯れ、道端の農民たちに笑われ、赤ん坊を借りて田んぼを走りまわりました。そして、ほとんどの撮影は、電光石火のハプニングの連続で、この方法は映画でも、テレビでも、絵画でも、小説でもできない写真術の独壇場でした。私たちの撮影は、秋田から筑波山麓、柴又や亀有、巣鴨のとげ抜き地蔵、目黒不動尊境内へと場所を変えていきました。疎開先の米沢で撮影はしませんでしたが、それは、私の「記憶」だと感ずるものを「記録」すれば充分でした。そうした経緯で「鎌鼬」が完成したのです。

 

鎌鼬 #17 1965年 ©細江英公

鎌鼬 #14 1965年 ©細江英公

鎌鼬 #13 1965年 ©細江英公

鎌鼬 #8  1965年 ©細江英公

鎌鼬 #28 1968年 ©細江英公


 

三島由紀夫と細江英公の“決闘”写真集と言われる「薔薇刑」その斬新な技巧と工夫を凝らした世界をご紹介ください。

 

 三島由紀夫を撮影するきっかけは、編集者を通して三島氏から撮影を依頼されたからでした。この時、「何故?私なのですか?」と尋ねたところ、三島氏が「土方巽を撮った写真、あれは良いね」と。私は直感的に、三島氏はダンサーになりたいのか?と思い、当時の助手の森山大道君に指示をして、氏の体にホースを巻きつけたり、木槌を持たせて脚立のうえからレンズを睨むように指示して撮影を行いました。
 撮影後の帰路で、「流石にやり過ぎたか?」と反省しましたが、出来上がった写真を編集者に渡したところ、後日三島氏が大変喜んでいたと聞き、胸をなで下ろしたことを記憶しています。そしてこの時高揚感が忘れられなかった私は、今度はこちらから撮影を申し込み1961年の9月から翌年の春頃まで撮影を行いました。

 「薔薇刑」の底に流れるテーマとして私の頭にあったのは、三島氏の肉体を通して、はじめて「生と死」といった大きなテーマが表現できるのではないか、という野心でした。三島氏はそんな若者の強欲をよく理解してくれました。
 撮影を続けるうちに私が感じたことは「所有者が愛する物にはその人の魂が宿るのではないか」ということ。そこで三島氏が愛して止まないルネッサンス期の絵画の画集を複写してネガを重ねて一体化した作品を作りました。
 それにも「死」を連想させる手段として、印刷用リスフィルムでネガを複製したり、同じくハイコントラストフィルムを用いて通常では有り得ないような微粒子な映像を完成させた。

 最後に誤解がないように付け加えるが、三島氏からは撮影の意図などに関しては一切の要望や提案はなかった。
これは氏が、“薔薇刑”の序文に「細江氏のカメラの前では、私は自分の精神や心理が少しも必要とされていないことを知った。それは心の躍るような経験であった」と記されていることから、私は三島氏の言葉として信じています。

 

薔薇刑 #32  1961年 ©細江英公

薔薇刑  #5 1961年 ©細江英公

薔薇刑 #6 1961年 ©細江英公

薔薇刑 #28 1961年 ©細江英公


 

「ガウディの宇宙」の魅力的な世界、ガウディに惹かれた訳、きっかけなどをお聞かせください。

 

 私が初めてバルセロナの「ガウディ」に触れたのは1964年のことでした。その時あまりにも巨大な肉塊のような建築物に圧倒された私は、「中途半端な気持ちでは、ガウディにカメラを向けることは出来ない」と感じました。

 この時から13年を経た1977年に再びバルセロナに撮影に向かかいました。この13年という月日で、私はガウディについてそれなりに学習をしたつもりでした。しかし、グエル公園の丸い石が設置されている広場で、ある事に気付いたのです。この空間は散歩者の行く手を遮るように石が配置されており、右か左に行こうとするとまたそこに丸石がある、といったパズルのような空間でした。まるで太陽の周りを惑星が一定の法則で回っていくような宇宙的秩序が存在していました。

 そうするとカサ・ミラの正面入口と上部のH型をした柱との微妙なずれ具合などは、禅寺における山門と玄関の角度のずれにそっくりではないか。なによりもガウディ自身の自然観照において、360度の方向を逆回りすれば、裏側から到達したもうひとつの禅が見えるのではないか?
この時の気付きの仮説を証明するため、1984年までの7年間に及ぶガウディ行脚を重ねた結果『ガウディの宇宙』が出来上がりました。

 

サクラダ・ファミリア 1977年 ©細江英公

カサ・ミラ 1978年 ©細江英公

サクラダ・ファミリア 1979年 ©細江英公

グエル公園 1978年 ©細江英公


 

細江英公 Eikoh HOSOEプロフィール

 

写真家、清里フォトアートミュージアム館長、東京工芸大学名誉教授、日本写真家協会会員、
日本写真芸術学会会員、日本写真家協会名誉会員。

1933年 山形市米沢市生まれ。
1954年 東京都写真短期大学(現・東京工芸大学)写真技術科卒業。
1959年 写真のセルフ・エージェンシー「VIVO」設立に参加。

1969年 「鎌鼬」芸術選奨文部大臣賞受賞
1998年  紫綬褒章受賞
2003年 日本を代表する写真家7人のひとりとして英国王立写真協会創立150周年特別賞受賞
2007年 旭日小授章受賞
2010年 文化功労賞顕彰
2017年 旭日重光章受賞

 

主な写真集

「おとこと女」
「薔薇刑」
「鎌鼬」
「抱擁」
「ガウディの宇宙」
「ルナ・ロッサ」
「おかあさんのばか」
「胡蝶の夢 舞踏家・小野一雄」
「死の灰」など

米児童文学作家 B.J.リフトン女史との共著(英語版)
「 Taka-chan and I」
「 A Dog’s Guide to Tokyo」
「Return to Hiroshima」
「A Place Called Hiroshima」など

 

主な作品収蔵先

東京都写真美術館、川崎市民ミュージアム、東京国立近代美術館、清里フォトアートミュージアム
東京工芸大学、ニューヨーク近代美術館、テートモダンギャラリー、ヒューストン美術館、
ミネアポリス美術館、ヨーロッパ写真の館(パリ)など

 

細江英公氏からのメッセージ

 

 何でもやってみよう。またギャラリーや美術館へ出掛けて本物のいい写真を見ること。そして、真似るのではなくて、学ぶことです。
 世界的な新型コロナウイルスの脅威により先が見えない状況ですが、皆さまどうぞお気を強く持って頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

お知らせ

 

 細江英公氏が館長をしている清里フォトアートミュージアムでは、粗削りな20代の作品にこそ、作家の原石が存在し、その才能の輝きは色褪せない。そうした理念のもと、1995年の開館時に、写真家の若い世代(20歳代)に撮影・制作した写真作品を収集・展示しました。その結果、企画展『25人の20代』写真展は、写真界に話題を投げかけました。
 そのアンコール展として、2020年清里フォトアートミュージアム(K★MoPA)では、開館25周年記念ヴァーチャル美術館を開設、第1回「25人の20代」写真展-K★MoPAの“原点”を、今ふたたび~ としてオンライン上で再現しています。どうぞご覧くださいませ。

清里フォトアートミュージアム(K★MoPA)開館25周年記念ヴァーチャル美術館

https://www.kmopa.com/virtual/

 

「25人の20代」写真展掲載写真家名、作品タイトル(ABC順)

荒木経惟《さっちん》 奈良原一高《王国》 藤原新也《バラナシの死》他 野町和嘉《サハラ》 英伸三《農村電子工業》 大石芳野《ニューギニア》 細江英公《おとこと女》 篠山紀信《誕生》 今井壽恵《風―白昼夢―》 白川義員《白い山》 石元泰博《シカゴハロウィン》  高梨豊《オツカレサマ》 岩合光昭《海からの手紙》 田沼武能《戦後の子供達》 川田喜久治《地図》 立木義浩《彼のもの、彼女のもの》他 木之下晃《音楽家》 東松照明《家》 桑原史成《水俣》 富山治夫《現代語感》 森山大道《パントマイム》 土田ヒロミ《俗神》 長野重一《広島》 横須賀功光《ポートレイト》 内藤正敏《トキドロレン》

★作品に併せて、25年前に執筆いただいた写真家の自筆原稿(自作への想い、若い写真家へのメッセージ)も掲載しています。

この企画は、アメリカのサンディエゴ(カリフォルニア州)の美術館MoPAで、この4月16日~9月19日まで、清里フォトアートミュージアムが所蔵する写真の一部として『25人の20代』の作品の中から30点余りが海を渡ります。英語での展覧会名は、『Beginning Forever From the Kiyosato Museum of Photographic Art-shinnyo-en Collection』です。

 

オープニングセレモニー写真(1995年7月8日)
前列左から(敬称略)野町和嘉、細江英公館長、長野重一、森山大道、内藤正敏、後列左から富山治夫、桑原史成、英伸三、木之下晃、奈良原一高、横須賀功光、白川義員、田沼武能。