「表現者たち」vol.14 Sails Chong 庄 揚帆

Only after we run, can we know the joy of wind.

Sails Chong 庄 揚帆

 

子どもの頃から弁護士を目指した私は、大学受験に見事に敗戦してしまい、思いもよらない日本語学科に配属されました。しかし負けず嫌いな性格もあり、自慢できる成績で大学を卒業、伊藤忠商事に就職し一営業マンになりました。ピカピカの新人でありながら接待や出張に励み、そこそこの実績も残しましたが、先輩の背中を見る中で何か違う気がして、これは私の望む生涯事業ではないと、周りの猛反対を完全無視して退社しました。

進路を考え直し大胆な決断をしました。適正露出さえも知らなかった私が、趣味である撮影を仕事にする事に踏み切ったのです。社員を雇い、全財産を賭けてスタジオまで立ち上げました。なんとかなるでしょう、いや、なんとかするしかないと、売り上げに頭を悩ませながら、撮影の基本を勉強する日々を送りました。

友人から結婚式前撮り撮影の依頼があった事をきっかけに、ウェディング撮影の業界に目を向けました。特に写真が上手い訳でも無かったのですが、中国における40年ほど前のベビーブーム時代の追い風に乗って、殺到した結婚前撮り撮影の依頼にいやになるほど忙しくなりました。毎日他社の行う撮影と同じロケーション、同じ流れ、同じポーズ、同じレタッチをくりかえし、まさにシャッターロボットでありました。再び私は違うと思いました。これは大手商社を辞めてまでやりたい仕事ではない、こんな撮影なんかちっとも楽しくないし何にもならないと思いました。変わりたい、いや、変わるのだ!と。でも何を、どうやって?

 

 

常識を作るのはいつだって常識を逸脱した厄介者だと言われています。誰もウェディング撮影に中判を使っていないのなら、取り敢えず私が使おうと、他社との差別化の第一歩を踏み出しました。キヤノンの機材を売却し、ハッセルブラッドの中判デジタルカメラを中古で購入しました。本体もレンズも大きく手ぶれが半端でない上に、C C Dも低感度。自分の無力さを覚えました。撮影は光だと、今まで自然光しか撮れない自分が馬鹿でした。本、インターネット、手の届くあらゆる情報を洗い出し勉強しました。光があれば影ができる、強い光の分だけ暗部は濃くなる、中判カメラでのストロボ撮影を体験し、写真のライブ感に出会え、神は細部に宿ると気づき、撮影を楽しめることを実感できました。

 

 

ある日カメラが故障し、ハッセルブラッドのサービスに出し修理してもらっている間に、中国代理店から代行機として当時の最新機種を貸してもらいました。せっかくのチャンスでしたから、誰もやってことのない事にチャレンジしようと、万里の長城での撮影に挑みました。ロープウェイで登り、そこから徒歩3時間も歩き、人気のない修繕もされていない“野長城”で撮影しました。結果、その写真が大ヒットし、ハッセルブラッドのアンバサダーになりました。お客様から撮って欲しいと言われる写真ではなく、自分の撮りたい作品を撮れた喜びはたまらないものでありました。

この事をきっかけに、毎年定番として必ず作品作りの旅を企画するようになりました。目下のフッションなんてどうせいつか色褪せしてしまうから、いっそうの事、普遍的な大昔のものを撮ろうと考えました。中国のみならず、各国の世界遺産や文化に目を向けました。文化の力は偉大で、人間がちっぽけに感じます。美しい画面を言語化して活字で読むとまた別の重さがあります、それが文化の奥行き、深みです。その深みを再び画面化して表現するのはまたとても面白いのです。

 

 

修行を重ねるごとに、生まれ変わった自分がいましたが、途轍もない大きな夢と根拠のない自信に溢れ、天下を取った気分で、一時はそこら辺のカメラマンとは自分が違うと思っていました。運営していたスタジオも順風満帆で、いつの間にかアジアで5拠点、スタッフ50名も用いる大きなチームになりましたが、そこでまた新たな難問に直面する事になりました。運営、人事、財務決算、接待など多忙な会社業務に追われ、作品作りどころではなくなってしまいました。

 

初心に戻り一写真家に戻りたいと強く希望していた私は、三十五歳の時に、会社を売却することにしました。挙句、投資詐欺に巻き込まれエンジン切れとなり,3年間にも渡った裁判には勝訴したのですが、会社もチームも実質上失ってしまいました。走っている途中で一度止まると、その後走り直すのはかなり辛いものです。会社を失った私は鬱となり、人間不信になりました。同時期にハッセルブラッドはD J Iに買収され、仲間のほとんどが退社し、僕も5年間務めてきたアンバサダーから降りました。

 

 

今まで走りっぱなしで逆に景色が見えてないのでは?怖さが伴いますが、逆境だからこそ生まれ変わりましょうと思いました。ギターは時々弦を緩めないと、傷みやすく、長持ちしないそうです。人生100年の時代に私は全然これからだと、シャッターを切れる限り何も怖いものは無いのです。そして、愛用していたマミヤを買収したフェーズワンの社長が自ら上海まで面会に来られ、うちのアンバサダーにならないかと依頼された事をきっかけに、私は新たな旅に出発しました。最高峰の機材を手にして、今まで実績のない商用写真とファッション業界に足を踏み入れました。

 


 

それと同時に、世界中にセミナーの旅に出かけました。撮影とはある意味人との繋がりです。知識をシェアすると同時に、別世界の文化から栄養を吸収することも多く、何より、怖くなっていた人との繋がりが再び恋しくなったのです。

 

 

今年で四十一歳となります。もう、ブレも妥協もしない。他人から撮って欲しいものでもない、自分が撮りたいものでもない、自分が撮影という手段を持って何を表現しようとするのが切り札だという事に気づきました。フォトグラファーとしてベテランかもしれませんが、アーティストとしてはまだ子供です。結局、今まで自分は何も解っていませんでしたが、これからです。A I撮影や動画が活発化している今、逆に撮影やアートを考え直すチャンスかもしれません。機械でなく人間がシャッターを切っているからこそ、間違いもするし、人間臭さがあって面白い。これからも、人間として、何か世の中に残したいと思うのです。

 

 

次の目標があります。人間の器は、夢の大きさで決まるみたいですが、監督として映画業界にデビューするのもありかもしれません。なんか楽しくなってきました!もっと好きになりたい、撮影を、撮影をする自分も。

 


【プロフィール】
Sails Chong(セールス チャン) 庄 揚帆
Hasselblad グローバル・アンバサダー(2014~2019)
Broncolor グローバル・アンバサダー(2015~)
Huawei カメラソリューション顧問 (2017~2019)
Phase ONE グローバル・アンバサダー (2019~)
Aputure グローバル・アンバサダー(2021~)
ニューヨークファッションショー・オフィシャルフォトグラファー(2018)
カンヌ映画祭・オフィシャルフォトグラファー(2023&2016)
作品集<Sails Chong, The Best Collection> 日本で出版(2017)