第6回「笹本恒子写真賞」 受賞者 高橋 宣之 氏に決定

第6回「笹本恒子写真賞」 受賞者

高橋 宣之(たかはし のぶゆき)

 

【受賞理由】

高知県の仁淀川水系という限定的なテーマを、数十年にわたって深く掘り下げることで、ネイチャーフォトの枠を超えて、地域文化や生きものの生態までをも表現している。このハイクオリティーな写真の世界が凝縮された作品群に対して。

高橋 宣之 プロフィール

 

1947年 高知市に生まれる。

1969年 スペイン政府名誉留学でサラゴサに3年間学ぶ。

1972年 帰国後、フリーランスとなり以後、コマーシャル撮影のかたわら「海」「シーランド」などをテーマに写真作品を制作、カメラ雑誌などに発表する。

1978年 ドイツのフォトキナ展に招待出品。翌年その作品がハンブルク美術工芸博物館に永久保存となる。

1987年 チリ・マゼラン海峡の町プンタ・アレナスに移り住む。

1988年 チリ海軍の協力で大陸最南端の冬のホーン岬、チリ空軍の協力で冬の南極大陸に立つ。

1989年 「花鳥風月」「仁淀川」などをテーマに作品を制作。

2010年 NHK高知放送局の制作チームに加わり、NHK「仁淀川」-知られざる青の神秘- などで動画および写真を発表する。

公益社団法人日本写真家協会正会員

 

 

【個展】写真展

「波」(1981年 ニコンサロン)

「SEASCAPE」(1995年 キヤノンサロン)

「光の造形」(2006年 ポーラミュージアム アネックス)

「煌めく水」(2007年 ポーラミュージアム アネックス)

「神々の水系」(2022年 キヤノンギャラリーS)

「鳥の歌」(2023年 フジフイルム スクエア 写真歴史博物館)

【写真集】

『神々の水系』『鳥の歌』『BLUE〔S〕』『NIYODO BLUE』

 

【受賞の言葉】

昔撮影したフィルム作品をデジタル化するために、私は最近、複写撮影ばかりしている。 長く撮り続けたフィルムの量はスリーブで120キログラムを超え、いったいどれほどのカット数があるのか見当もつかない。それを一枚ずつビュワーの上に並べてセレクト作業をしているのである。時にはすっかり忘れていた上質の作品に出会えて喜ぶこともあるが、たいていは自らの力のなさに頭をたれ、深いため息をついている。部屋を占拠している大量のフィルムの山は茫々とした塵の山なのか。などと考えると憂うつになる。そんな時、作業場の電話が鳴り、「笹本恒子写真賞おめでとうございます」という知らせが入って驚いた。いったい誰が推薦してくれたのだろう。どの作品が選ばれたのだろう。とにもかくにも感謝、感謝の気持ちでいっぱいである。とびっきりのうれしい連絡は暗雲から射す一条の光のように目の前のフィルムの山をほんのり明るく照らしていた。

 

【お知らせ】

授賞式:12月13日(水) アルカディア市ヶ谷(私学会館)

写真展:12月21日(木)〜27日(水)アイデムフォトギャラリー「シリウス」

【選評】

佐伯 剛

笹本恒子写真賞は、一人の写真家の過去から現在に至る連続的な活動に対して贈られるもので、写真家が存在していることの意義を、強く感じられる活動を継続して いる写真家こそ、この賞にふさわしいと思います。今回、受賞者に選ばれた高橋宣之さんは、高知の仁淀川という限定的な地域を数十年にわたって撮影してきましたが、宇宙の構造においてミクロがマクロの相似形であるように、彼が撮り続けた仁淀川の水系世界は、森羅万象の普遍性に到達しており、私たちが生きている世界のかけがえのなさを伝えます。そして、自然風土と、生命や人間の精神世界のつながりの深さを再認識させるそれらの写真は、高性能カメラのシャッターを押しさえすれば誰でも撮れるありきたりのものではないし、加工ソフトで簡単に捏造できる世界でもありません。高橋さんの写真は、テーマの深さ、試行錯誤の厚み、邂逅の瞬間を待つまでの気の遠くなるような時間など、世の中のどの分野においても革新性と卓越性を達成するためには必須の取り組み方によって成し遂げられた表現世界であり、写真家の存在意義が危うくなっている現代において、一つのメルクマールになってくるでしょう。もはや、テクニックや目の付け所のセンスで写真の優劣を競い合うのは素人とプロの境界のないSNSの中だけで十分です。絵や音楽と違って、誰もがすぐに表現活動に参加できる写真分野において、写真家を志す人の哲学や眼差しに奥行きや深さがなくなっていくことが、即、写真表現の衰退につながっ ていくでしょう。また、日本という国を知るうえでも、地方に関する知識は、観光情報など人口密集の都市世界の目で都合よく編集されたものばかりが流布し、日本の真の姿が見えにくくなっています。対象に真摯に向き合わない通りすがりの目では見えないものの中に、いのちの本質に関わる大事なものが隠れています。それを見い出し顕現化することが写真家のミッションだと信じる高橋さんのような取り組 み方が増えると、日本人の日本に対する認識、そして自分が生きている環境世界に対する認識も、少しずつ深まってゆくかもしれません。

 

【笹本恒子写真賞について】

わが国初の女性報道写真家として活躍された笹本恒子氏(1914~2022)の多年にわたる業績を記念して、実績ある写真家の活動を支援する「笹本恒子写真賞」を平成28(2016)年に創設。選考委員は佐伯剛(編集者)、野町和嘉(写真家・日本写真家協会前会長)、熊切大輔(日本写真家協会会長)(敬称略)。


笹本恒子(ささもと・つねこ)略歴

笹本恒子氏は1914(大正3)年東京生まれ。画家を志してアルバイトとして東京日日新聞社(現毎日新聞社)で、紙面のカットを描いていたところ、1940(昭和15年)財団法人写真協会の誘いで報道写真家に転身。日独伊三国同盟の婦人祝賀会を手始めに、戦時中の様々な国際会議などを撮影。戦後はフリーとして活動をし、安保闘争から時の人物を数多く撮影。JPS創立会員。写真集の出版、執筆。写真展、講演会等で活躍した。2022年8月15日老衰にて逝去。107歳。

 

受賞歴

1996年東京女性財団賞、2001年第16回ダイヤモンド賞、2011年吉川英治文化賞、日本写真協会功労賞、2014年ベストドレッサー賞特別賞受賞。

2016年写真界のアカデミー賞といわれる「ルーシー賞」(生涯にわたる業績部門)受賞。